神泉苑の法力比べ

824年(天長元年)、淳和天皇は旱魃に見舞われていた畿内を救うため、西寺の守敏と東寺の空海に請雨法の修法を命ぜられた。

最初に行ったのは守敏である。その結果、17日目にわずかに雨が降っただけであった。

次は空海の番である。さっそく神泉苑で請雨法を修法したものの、残念ながら1週間たっても1滴も雨が降らなかった。不審に思った空海が調べると、なんと守敏が密かに妨害していたのである。そこでしばしの猶予を願い出たあとヒマラヤの善女龍王を勧請し、五鈷杵を手に修法を再開したところ、たちまち黒雲がわきおこり三日三晩大雨が降り続いたという。


現在空海が手にした五鈷杵は、国宝指定を受け東寺(教王護国寺)で厳重に保管されている。「大師の五鈷杵」はこれの写しである。



 

空海が祈祷を行った神泉苑
(現在の京都・二条城の南



 

高野山金剛峰寺の善女龍王社