三井住友VISAカード

愛染明王直江兼続の守護神

1ヶ月で人生を変える!(注) 愛の神
純銀製 愛染明王
      あいぜんみょうおう

愛染明王

      愛染明王 懐中守護尊  愛染明王 懐中守護尊クリックで拡大

正光作 愛染明王 懐中守護尊
純銀(SV1000)製 24金鍍金 直径:約50mm 拡大写真
日本黎明社オリジナル商品

古代より呪術に使われてきた八角の八稜形


注:1ヶ月は源頼朝の史実による(下記)


 恋愛成就・夫婦円満に特に強力効果! 



愛染明王ペンダント

正光作 愛染明王ペンダント
純銀(SV970)製 24金鍍金
約26×17×1mm
日本黎明社オリジナル商品 拡大写真

愛染明王ペンダント


愛染明王の3大パワー

☆愛を燃え上がらせる!
☆あらゆる障害を除去する!
☆人間関係を改善!



歴史が証明する驚異の力
「やっと本物に出会えました!」



直江兼続 源頼朝 お市
直江兼続、源頼朝、お市の方は、愛染明王を守護神とした


ご存知でしたか?

・直江兼続・危機脱出の秘密
・たった1ヶ月で人生大逆転!頼朝の真実
・頼朝と政子、愛の秘話

下部の「史実が立証! 愛染明王驚異のパワー!」をご覧ください



愛染明王清祓および開運祈願のうえお届けします愛染明王


愛染明王
愛染明王

愛染明王を成就させる!

強烈パワー!の守護神


運が悪いため損をしていた方に朗報です! 愛染明王のパワーを活用できる素晴らしい作品が完成しました!

愛染明王は由緒正しい密教の尊格で、愛の成就に強烈な力を発揮してくれます。

愛染明王は出会いをもたらし、恋愛を成就させ、愛情に満ちた幸せな家庭を作ります。現在問題がおきている場合は速やかに解決してくれます。愛欲を肯定し、人間を高めるエネルギーに転換するのが愛染明王の役割であり、悩める方に積極的に力添えしてくれるのです。

愛染明王はまた、あらゆる障害を除去する強烈な力を発揮してくれます。激しい憤怒の姿で心を寄せる人のボディガードとなって、行く手を阻むものを取り除いてくれます。恋愛や家庭問題ばかりでなく仕事や人間関係、金銭問題においても愛染明王は強い力で問題を解決してくれます。特に人間関係の修復・改善は一番得意とするところです。

とにかく力が強い、功徳が大きい、効果が早いのが愛染明王の特徴であり、皇族から貴族、戦国武将にいたるまで数多くの歴史的人物が守護神としました。そのパワーは日本史をも動かしてきたのです。



「運」が悪いと努力がムダに?


出会い、人間関係、また人生全般に、神秘的要素が強く影響することは誰しも感じるところです。パナソニックグループを一代で築き上げた松下幸之助氏は、人生は「運が7割、努力は3割」と述べました。「運」が足りないばかりに不本意な人生を送る方も大勢います。

「もう少し運が良ければ・・・」 と思ったことはありますでしょうか? あれば、愛染明王のパワーを活用してみてください。愛染明王を身近に置いて、ときどき願いを込めるだけで、カンタンに恩恵にあずかれます

愛染明王のパワーを活用するか、しないかその差が大きいことは歴史が証明しています。直江兼続の史実を見てみましょう。


 
「手にした瞬間、全身に自信がみなぎりました!」 

宮崎県のお客様から



直江兼続の兜直江兼続の守護神

直江兼続
直江兼続

ドラマで人気沸騰した戦国武将・直江兼続。彼の兜の「愛」の字こそ、守護神である愛染明王の愛です。愛の字の下に瑞雲が描かれていることなどから、歴史学者の多くが愛染明王の愛であると説明しています。

愛染明王を守護神とした直江兼続は妻・お船と深い信頼関係で結ばれ、愛情に満ちた幸せな家庭を築きました。側室を持つことが当たり前だった時代、兼続は生涯側室を持たず、妻・お船だけを深く愛しました。1619年(元和5年)に兼続が亡くなるとお船は剃髪して貞心尼と号し、愛する夫の菩提をとむらいながら81歳の長寿をまっとうします。

兼続は良き夫で有能な武将であったばかりでなく、愛染明王の加護でたいへんな強運の持ち主でもありました。生涯何度も絶体絶命の危機を迎えながらも寸前に脱し、ついには主家を存続させることに成功したのです。

強運と深い愛情。これは愛染明王を守護神とする人物に共通するものです。

→詳しくは下部の「史実が立証! 愛染明王驚異のパワー!」をご覧ください



愛染明王
とにかく美しい・・・

これぞ一級品! 本物ならではのパワー!

弊社の愛染明王は、伝統工芸の第一人者である松井正光氏が丹精込めて作り上げた作品です。正光氏は国宝の復元や、古くは東京オリンピックの記念メダル制作を担当した一流金工作家です。この道一筋に生きてきた匠が、精密無比な日本職人の技を見せてくれました。

作品はコンマミリ単位まで精緻に彫り上げられ(クリックしてお確かめください)、しかもこの小ささで、愛染明王が立体的に浮かび上がる最高度の技術が駆使されています!
仕上げも手作業。一点一点、手間も時間もかけて制作された、これぞ一生モノの逸品です。
他では手に入らないたいへん貴重な愛染明王像は、たいせつな宝物になることでしょう。

歴史的事実が立証するように、愛染明王は強烈な力を発揮します。願いを込めるだけで、あなたの人生を大きく変えます

清祓および開運祈願のうえお届けいたします。携帯用、またはご自宅用に、ぜひこの機会にどうぞ。



愛染明王 懐中守護尊

愛染明王 懐中守護尊

正光作 純銀(SV1000)製 24金鍍金
直径:約50mm 重量:約35g 拡大写真
携帯用ポーチ付

■愛染明王 懐中守護尊 AK-808
 単価 29500円 購入数


 



愛染明王清祓および開運祈願のうえお届けします愛染明王



愛染明王ペンダント

正光作 純銀(SV970)製 24金鍍金 約26×17×1mm 拡大写真
携帯ストラップ、御守袋(高級錦織)付属
裏面は般若心経が浮かび上がる

■愛染明王ペンダント AP-726
 単価 15500円 購入数


 

※数に限りがございます。お早めにご注文ください。




お支払いは便利な代金引換で!(手数料弊社負担)
配送等のご案内

お問い合わせはお気軽に 03−3320−7722 までお電話ください





史実が立証! 愛染明王驚異のパワー!



直江兼続
直江兼続

愛染明王絶体絶命の危機から脱出! 直江兼続と愛染明王

愛染明王に守られた直江兼続は、主なものだけで生涯3度も滅亡の危機から脱しています。その事績をみるとき、人智を超えた力が働いていたことを感じずにはいられません。

最初の危機はまだ19歳だった1578年(天正6年)。上杉謙信が亡くなり、主君・上杉景勝とともに後継をめぐる「御館の乱」に巻き込まれたときです。その時点で景勝・兼続サイドは圧倒的に不利でした。ライバルの上杉三郎景虎は上杉一門衆の支持を集めており、また北条氏から養子に入ったため実家の北条氏、武田氏、伊達氏、蘆名氏のバックアップを得ていたのです。

存亡の危機を迎えた景勝・兼続は、電光石火で動きました。謙信の葬儀の日、春日山城の本丸を占拠して金蔵にあった3万両の黄金を押さえます。そして討伐に向かってくる武田軍に1万両を渡して同盟を結び、味方に引き入れることに成功するのです。この幸運に支えられた行動により、景勝・兼続は絶体絶命の危機を脱して越後平定への道筋をつけたのです。



織田信長
織田信長

多勢に無勢

2度目の存亡の危機は、後継者争いに勝利して越後の支配者となったあとの1582年(天正10年)。織田信長の軍勢が3方向から攻めてきたのです。同盟を結んだ武田氏はすでに滅ぼされ、多勢に無勢、上杉家はいよいよ滅亡が目前に迫ります。兼続は死を覚悟します。

そのとき、予想外の出来事がおきます。なんと織田信長が本能寺の変で殺されてしまうのです。越後を攻めていた滝川一益や柴田勝家らは一斉に引き揚げました。

信長の後継者となった秀吉は景勝・兼続をたいへん重んじ、やがて景勝は石高120万石の大老となりました。兼続も29歳にして上杉家の単独執政となり、30万石という破格の所領を与えられました。驚異的な強運に支えられ、滅亡目前だった上杉家は日本で3番目の大大名となったのです。



徳川家康
徳川家康

家康にケンカを売る

3度目の危機は1600年(慶長5年)に来ました。実力者・徳川家康が景勝を呼び出したのに対して、兼続は世に名高い「直江状」を叩きつけてケンカを売ったのです。内容は一言でいえば「来るなら来い!」。手にした家康は全身を震わせて激怒したといわれます。すぐさま討伐の遠征軍を送り込んできました。

今度こそ滅亡かと思われたそのとき、家康の背後で石田三成が兵を挙げます。家康遠征軍はやむを得ず西に引き返し、関ヶ原の合戦となりました。

関ヶ原の合戦開戦地 家康が首実検を行った最後陣跡

家康が関ヶ原で勝利したあと、兼続は上杉家存続のための交渉を開始します。相手は直江状を叩きつけた家康。命を差し出す覚悟だったのでしょう。

ところが取り潰される大名が出るなか、兼続は上杉家を存続させることに成功するのです。そして減封とはいえ米沢30万石の領地を与えられます。またもや絶体絶命の危機を脱したのです。

その後兼続は米沢で産業振興に力を尽くし、1619年(元和5年)まで生きました。


愛染明王愛染明王 懐中守護尊兼続が命を託した愛染明王

兼続が生涯の師と仰いだのは上杉謙信でした。謙信は毘沙門天を篤く信仰し、毘沙門天の「毘」の字を旗印として幾多の合戦に勝利しました。兼続は師にならい愛染明王に命を託し、「愛」の字を兜の前立として数々の危機を乗り越えたのです。

戦国武将の激烈な生き様は、現代の私たちに「運」を味方につけることの大切さを教えてくれます。





源頼朝
頼朝

たった1ヶ月で人生大逆転! 源頼朝の真実

鎌倉幕府を開いた源頼朝もまた、愛染明王を守護神としていました。頼朝の念持仏だった愛染明王像は現在、高野山・金剛三昧院の本尊として多くの参拝者を集めています。

金剛三昧院
頼朝の愛染明王を本尊とする
金剛三昧院

命をかけた恋

頼朝は少年時代から青年時代を流人(受刑者)として過ごします。伊豆の蛭ヶ小島に流され、平氏の監視のもと何の希望もない日々を20年近く送っていました。

そのとき出会ったのが、地元の豪族の娘・北条政子です。2人は恋に落ちます。ところが政子の父・北条時政はトラブルを恐れて強引に仲を裂き、平氏の一族である山木兼隆と結婚させようとしました。

婚礼の日、政子は身ひとつで逃げ出します。そして大雨の夜、真っ暗な伊豆の山道を夜通し走って、愛する頼朝のもとに身を寄せたのです。現代でも韮山峠と熱海峠を徒歩で越えるのはたいへんなことですし、夜の登山は危険を伴います。当時はオオカミも生息していました。それをランプも懐中電灯もない時代に、政子は頼朝への愛だけを頼りに命懸けで駆け抜けたのです。

2人は伊豆山神社で匿われました。しばらくすると長女・大姫が生まれ、ようやく北条時政も2人の結婚を認めました。

頼朝と政子
蛭ヶ小島跡に建つ頼朝と政子の像
貧しいながらも幸せな生活があった


絶体絶命のピンチ

守山八幡宮
頼朝が勝利を祈った守山八幡宮(伊豆の国市)

1180年(治承4年)、駆け落ちで結ばれ、貧しいながらも幸せな生活を送っていた頼朝と政子にピンチが訪れます。後白河上皇の皇子から平氏打倒の令旨が届けられ、頼朝は挙兵せざるを得なくなったのです。

さっそく頼朝は参加を呼びかける書状を各地に送りましたが、ほとんど相手にされません。「あなたが平氏を討とうなんぞ、富士山と背比べし、ネズミが猫をとるようなものだ」と嘲笑した豪族もいました。客観的に見るともっともな指摘でした。

それでも頼朝はわずかな手勢を引き連れ挙兵します。8月17日の夜、かつて自分から政子を奪おうとした恋敵・山木兼隆の館を襲撃します。のちに鎌倉幕府の重鎮となる加藤景廉が山木を討ち取って、政子を巡る恋の争いは頼朝の完全勝利に終わりました。

ところが300騎で臨んだ次の石橋山の合戦で、頼朝の軍勢は10倍以上の敵に完膚なきまでに叩きのめされ、散り散りになってしまいました。そして3000騎の敵に追われることになります。

自鑑水
頼朝が自害しようとした自鑑水

敵は必死になって捜索します。頼朝は受刑者とはいえ源氏の御曹司。その首をとったら大手柄なので懸命です。

頼朝は必死で逃げます。わずかに残った供の者と、追っ手から逃れるため山中を何日間も彷徨いました。神奈川県湯河原町の山中にある水溜り・自鑑水(じかんすい)にたどり着いたとき、水面に映った自分の情けない姿に絶望して発作的に自害しようとしたのを、部下の土肥実平が必死に押しとどめて事なきを得たといいます。彼は歴史の藻屑と消える寸前まで追い詰められていました。

政子は後年、「あなたが石橋山の合戦に出陣したとき、ひとり伊豆山神社に残りました。あなたの生死も分からず、日夜魂が消え入るような思いでした」 (『吾妻鏡』)と述懐しています。



富士川
頼朝が勝利した富士川

奇跡は起きた!

頼朝の守護神である愛染明王はしかし、彼を見捨てませんでした。頼朝は大規模な追跡網から辛うじて逃げ切ることに成功し、小舟で安房国(現千葉県)に落ちのびます。そこから奇跡の大逆転がはじまるのです。

8月29日にわずかな人数で上陸した頼朝は、各地の豪族に巧みに加勢を呼びかけます。一人、また一人と加勢する豪族が増え、軍勢は雪だるま式に膨れ上がっていきます。十数騎だったのが数十騎となり、数百騎となり、数千騎となり、やがて万を越え、10月6日に鎌倉に入る頃には3万騎以上になっていました。そして10月16日に平氏追討軍を迎え撃つべく鎌倉を出発したときには、20万騎がつき従っていたのです。

静岡県の富士川で平氏の軍勢と対峙したとき、兵力の差は歴然としていました。つい2ヶ月前まで受刑者で、1ヶ月半前にコテンパンに負かされて逃げ回っていた頼朝は、いま20万の軍勢を率いて歴史の表舞台に躍り出たのです。

震え上がった平氏の軍勢は、水鳥の羽音に驚いてあわてて逃げ去りました。この瞬間に歴史の流れが決まりました。

史上空前の奇跡が起きたのです。

愛染明王

一途な愛

1186年(文治2年)4月8日、頼朝と対立していた源義経の恋人・静御前が捕らえられて鎌倉に送られてきました。頼朝は静御前に舞を奉納させます。そのとき静御前は殺されることを覚悟で、義経を恋い慕う歌をうたいました。

吉野山峰の白雪ふみわけて 入りにし人の跡ぞ恋しき  (吉野山の峰の白雪を踏み分けて行ってしまわれた義経様が恋しい)

しづやしづしづのをだまきくり返し 昔を今になすよしもがな  (静、静、と義経様が呼んでくださったあの頃に戻りたい、の意)


案の定、頼朝は激怒します。
「自分の目の前で反逆者・義経が恋しいとは何事だ!!」

鶴岡八幡宮
静御前が舞を奉納した鶴岡八幡宮

それを見た政子は、敢然と頼朝をたしなめて言いました。

「あなたが受刑者として伊豆に蟄居していたとき、私はあなたと恋仲になりました。父はトラブルを恐れて私を閉じ込めてしまいました。それでもなお、あなたへの一途な愛を貫くため闇夜をさ迷い、降りしきる雨を凌ぎながら、あなたの許にたどりついたのです」
「その時の心は今の静御前と同じです。もし彼女が義経の愛を忘れて恋い慕わないなら、貞女といえないではないですか!!」

政子は静御前にかつての自分を見たのです。政子の力強い説諭に、頼朝は納得して褒美を与えました。

これは鎌倉幕府の公式歴史書である『吾妻鏡』に記されているエピソードです。



金剛三昧院
高野山・金剛三昧院

頼朝と政子の愛染明王

頼朝は1192年(建久3年)に征夷大将軍に任ぜられ、鎌倉幕府を開きます。政子も大きな発言力を持つようになり、2人で幕府を切り盛りしました。1199年(建久10年)に頼朝が亡くなると、政子は高野山に禅定院(現・金剛三昧院)を創建し、頼朝の念持仏だった愛染明王を安置します。

800年たった現在でも、頼朝と政子の愛染明王は参拝者を暖かく見守っています。





絶世の美女・お市の愛染明王

戦国時代随一の美女として知られ、たいへん聡明だったといわれるお市。織田信長の妹として生まれたお市もまた、愛染明王を守護神としていました。現在お市の念持仏だった愛染明王は、滋賀県の小谷寺で厳重に保管されています。

浅井長政 お市 小谷寺
浅井長政 お市 愛染明王が安置されている小谷寺

1567年(永禄10年)、お市は近江の武将・浅井長政と結婚します。これは典型的な政略結婚でしたが、お市と長政は現代に語り継がれるほど仲睦まじく、愛情に満ちた幸せな家庭を築きました。2人の間には茶々、お初、お江という美しい三姉妹が生まれ、戦国に咲いた一輪の花のような美しい家庭がそこにはありました。

小谷城跡 小谷城本丸跡 琵琶湖方面
小谷城跡 小谷城本丸跡
ここに美しい家庭があった
小谷城から琵琶湖方面を望む

お市と長政は戦国の世に美しく散りました。しかし「浅井の血を絶やしてはならぬ」 と三姉妹に言い聞かせた2人の思いは、大きく花開きました。三女・お江は徳川幕府2代将軍・徳川秀忠の正室となり、3代将軍・徳川家光を生んだのです。家光はお市と長政の孫に、4代将軍・家綱と5代将軍・綱吉は曾孫になります。
そしてなんと、明正天皇(寛永時代)は曾孫になるのです。

徳川家光
三代将軍・徳川家光
お市と長政の孫である

愛染明王に守られたお市の血筋は、現代に至るまで連綿と続いています。





愛染明王の歴史

弘法大師空海
弘法大師空海


皇族・貴族の守護神

愛染明王は弘法大師空海によって日本にもたらされた由緒正しい密教の尊格です。その名前は愛欲をむさぼる心(愛欲貪染)を清浄な心に昇華させることからきたもので、秘経の『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経』(略して『瑜祇経(ゆきぎょう)』)に登場するほか、空海請来の画像が平等院に存在していたと平安時代末期の記録にあります。ローマ神話の愛の神キューピットと同じく弓と矢を手にしており、洋の東西を問わず愛の神が弓矢を手にしている事実は注目に値します。

空海がもたらした当初は知る人ぞ知る存在でしたが、平安時代末期に皇族や貴族の間で、愛染明王を守護神として敬愛を祈ることがブームになります。愛染明王はとにかく力が強く、祈願の効果がすばやく出ることから噂が噂を呼んで広まったのです。特に1068年(治暦4年)、皇太子の護持僧・成尊が愛染明王に祈ったところ、皇太子が瞬く間に即位されて後三条天皇になられた事例があり、この日本史に関わる重大事件が貴族社会のブームに拍車をかけました。

後三条天皇が大切にされた愛染明王は、白河天皇が法勝寺を建立されるとき八角堂に安置されたと『阿婆縛抄』は記しています。



元寇日本を危機から救う

鎌倉時代になると武家も愛染明王を守護神とするようになります。というより源頼朝の守護神が愛染明王であり、鎌倉時代は愛染明王が作ったといっても過言ではないのです。日本が未曽有の危機に直面した元寇のときには、元軍撃退の祈祷が愛染明王の前でさかんに行われました。1281年(弘安3年)、石清水八幡宮で必死の祈祷が行われていたとき、愛染明王像が不思議な音を発すると手にした矢が元軍の方向目がけて飛んでいったと『若宮見聞記』にあります。ほどなくして元軍は壊滅し、我が国は危機を脱します。



後醍醐天皇
後醍醐天皇

後醍醐天皇・後村上天皇の守護神

南北朝時代には後醍醐天皇が愛染明王を守護神とされました。帝は1334年(建武元年)に玉体安穏を祈願して等身大の愛染明王像を作らせ、高野山に安置されました。この愛染明王は現在でも高野山中心部の愛染堂に祀られており、多くの参拝者に親しまれています。

愛染堂
高野山・愛染堂

後醍醐天皇は廉子准三后とたいへん仲睦まじく、愛情に満ちていたことでも知られています。准三后は帝に常に寄り添い、建武の新政を力強く支えられました。

後醍醐天皇の皇子の後村上天皇もまた愛染明王を守護神とされました。現在後村上天皇の念持仏だった高さ6.2cmの愛染明王は、観心寺(河内)の秘仏として厳重に保管されています。

観心寺
後村上天皇の愛染明王を安置する観心寺

ちなみに弊社では、後村上天皇念持仏の愛染明王を目の前で拝観しています。とにかく驚くほど精緻で、迫力があり、その時代の最高の匠が制作したものであることは間違いないと思いました。愛染明王懐中守護尊の作者・正光氏はその写真を見て、現代の匠を代表して勝負するつもりで制作に取り組んだのです。

愛染明王懐中守護尊
一流は一流を知る

実力本位で広まる

室町時代以降愛染明王はますます広がりをみせ、数多くの武将から戦勝の神として崇められました。かつて皇族・貴族の守護神だった愛染明王は、段々と武家社会から一般へと広がっていきました。

いつの時代も愛染明王は、少数の先駆的な人に絶大な恩恵を授けてきました。今後もそれは変わりません。



愛染明王